2月1日に行った第1回の戯塾のテーマは、「スティーブ・ジョブズを考える」だったが、その中で最後に導いた私の結論をもう少し詳しく説明する。
この戯塾は、結論を導くことをその目的とはしていないが、このジョブズに関する私の結論は、これまで、私が言ってきた人間歴史観の延長線なので説明したい。
そもそもこれは、世界史の歴史観の問題だ。
まず、初めは14世紀~イタリアで起こったルネッサンス。
これは、神からの人間復興というものだ。これまでのキリスト教の教会の支配により、神に準じる聖家族は、人間というよりも神への道しるべと位置づけられ、その肉体の表現や表情の中には、筋肉の動きや歓喜の表情など、人間が人間であることの表現を著しく排除した表現だった。
それがルネッサンスでは、ダヴィンチやミケランジェロ、ラファエロ等の天才たちが、人間の生き生きした生命の宿りや感情のほとばしりを聖家族にも対象を広げて描いた。
キリストやマリアを人間として描いた。衝撃的な表現の転換だった。
そして、この第一次ルネッサンスを経て、18世紀には第一次産業革命が起こる。
蒸気が発明され、人間の力では到底到達できない科学技術の力による機械の存在が、人間の暮らしを飛躍的に便利にした。機械こそ、まさにヒットの根本の一つ「便利さ」の象徴だった。
ある意味では、この産業革命は人間の労働力を変質させたものであり、その意味では、人間は単純労働から解放された救いの神とも言える。
しかし、そんな機械化という神のなれの果てが、2つの世界大戦であり、原爆であり、ベトナム戦争である。
そして、起こるのが第2のルネッサンス「フラワームーブメント」だ。
世界中の学生運動や平和運動と連動して大きくなったこの運動は、「LOVE&PEACE」として、人間の解放を訴えた。機械から人間が脱却することを音楽やサブカルチャーの力が後押しした。ROCKとマリワナによる人間解放だった。
次に、戦争の世紀だった前世紀末、第2の産業革命「デジタル革命」が起こった。
デジタルの力はこれまでのあらゆる機械をネットワークし、コンピュータの処理能力で、はるか人間の能力を超えるようなスイッチング技術が人間の判断の世界にも入り込んでくることになった。
さらに、人間同士の情報交換も、驚異的に1対1からN対Nに広がることになり、情報に人間が支配され始めるようになる。せっかく、機械から解放されたのに、その機械と人間をも、情報が支配し出した。
そのようなことが前世紀末に起った21世紀の今日。
当然、第2の産業革命を経た今からは第3のルネッサンスが始まるわけだ。
それは情報からの人間解放である。しかも、それらは、デジタルという第2の産業革命を有効化することで起きると私は考えている。
その扉を開いたのが「スティーブ・ジョブズ」であるとの考えなのだ。
コンピュータに縛られない、デバイスという機械に縛られない、人間が扱いやすく、簡単にでき(ケンタッキーのおばあちゃんにもできるコンピュータ!)、人間が自由になる。
まさに、機械からの解放。さらにデジタルからの解放だ。
私がジョブズの事を第3のルネッサンスの扉を開いた男としたのはそういう訳だ。
ジョブズは、ジャニスであり、ジミヘンなのだ。



