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吉田就彦のヒット学

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本日、朝のTV番組「ウェークアッププラス」に小学生のダンスチーム「Little Legend」がダンスパフォーマンスしていた。

なんでも、ダンスコンテストの小学生の部で優勝したつわものらしい。

ダンスの切れも振付のうまさも、とにかくすごい。びっくりしてしまう。迷う事のない直線的な意識の結実として、身体のことも含めて、いい意味でも悪い意味でも小学生ならではのものと感じた。

彼らのパフォーマンスそのモノは素晴らしいの一言と思うが、他にいくつか気になったことがある。

まず、中学生にこのようなHIPHOP系ダンスが必修になるとの報道。詳細は分からないので少し角度が違うのかもしれないが、少し懸念がある。

おそらく、「EXILE」の人気がその大きな原因と思うが、子供たちに人気の広義のスポーツとしてHIPHOPダンスが取り入れられるのではないかとの懸念だ。

まず第1にHIPHOP系ダンスの精神構造。

これは黒人の反社会反体制意識の表現としての文化から起った芸術を義務教育に取り入れる懸念。もちろんすべての芸術はカウンターから進化していくわけだが、このHIPHOP系の意識は、やはりいまだ社会に対して背を向けるような精神構造を引きずっているように感じる。

もちろん、健全な思考の元、一つの文化としてHIPHOP系文化を広めていこうというちゃんとした考え方やEXILEのような存在もあるのは事実。

しかし、やはり単純な破壊や秩序無視を助長させるような精神構造に憧れる子供たちも多くなるリスクはこれを義務教育の中で教えること(しかも必修で)の危うさを感じる。

当然、課外活動や倶楽部活動、学外活動では大いにやってもらいたいし、それらが生むカウンターカルチャーのヒーロー登場にも期待したい。

しかし、その精神構造を全体に蔓延させるように、あえて義務教育に取り入れるのはどうなのかという視点。

もし、踊りというものを取り入れたいのであれば、(そのこと自体は私も重要なことと思うが、さらに言えば芸術をもっと取り入れるべしと強く思うが)日本舞踊や地域の神楽などの伝統舞踊、さらに言えば他の外国の踊りも教えてほしい。

それらが持つ日本の、そして文化の集積としての踊りという人間性の捉え方。そのことこそ、踊りの持つもっとも重要な人間に対するメッセージと思うからだ。

単に、子供たちに人気があるから、日本舞踊では子供たちがやりたがらないから、ともかく身体を動かすこと自体がいいことだから、という理由で動きのみを教えるという事にはいささか教育的な価値を見出しにくい。

もう一つの懸念は、「多様性」の担保と「カウンターカルチャー阻害」への心配

前にも書いたが、やはり踊りを「多様性」として教育の場では考えてほしい。みんながみんな、流行っているからとか、カッコいいとか、子供に人気だからとかで、同じことを助長させず、様々なことが世の中にあることを知るという事が教育の重要な視点である。

当然、HIPHOPもよい。しかし、日本舞踊、バレエ、社交ダンス等他の事も必要だ。さらに言えば、私が昔「狂言」を中学校で観た経験のように、通常なら触れる機会の無いもの(したがってTVでよく見れるHIPHOP系ダンスは該当しないだろう)をこそ、教育の場では子供たちに触れさせることが重要だ。

そして、「サブカルチャー」を教育の中心に添えると「サブカルチャー」そのものが脆弱になることへの懸念。

そもそも「カウンターカルチャー」だから鍛えられ、それが力と希望を生むのが「サブカルチャー」。そのことを大衆に強制的に認知させる必要を全く感じないどころか、その行為がサブカルチャーを面白くなくさせてしまう事が最大懸念。

要は、ホッテおいてもらいたいという事。

趣味で、親に隠れて、秘密に、自分だけがこだわる場として、サブカルチャーは強くなる。そして、そのことが次の時代を生み出す原動力となる。

それが白日の下にさらされて、しかも教育の対象物となり果ててしまえば、初めに否定的に論じた反社会的精神構造のHIPHOPも死んでしまう。意味をなさなくなる。

そんな懸念だ。HIPHOPはカウンターカルチャーだからこそ輝くのだ。

「Little Legend」の素晴らしいパファーマンスを見てそんなことがらを思った。

よくビジネスの場で話が出ることに「わかりやすい」商品やサービスと明確な「ビジネスモデル」という事がある。

「わかりやすい」ことによって、消費者がすぐ理解し、またそのことで、アライアンスのパートナーにも理解しやすいため、アライアンス戦略もしやすくなるというものだ。

しかも、その「ビジネスモデル」が明確であればあるほど、投資家や金融からのサポートも受けやすい。

要はいかに儲けるかがはっきりしているから安心だというのだ。
モデルがはっきりしていれば、成功、不成功もメルクマールがはっきりするという論だ。

しかし、最近、私はそのことに大いに疑問を持っている。

これだけ変化の激しい時代、しかも複雑に、表立ってではなく社会の深淵の中で起こっている激烈変化の時代に、この「わかりやすさ」や「モデル」という概念が通用するかだ。

「わかりやすい」はある意味TV用語と言える。TVという非常に短い時間に多量の情報が発信されるメディアにおいて、わかりやすさは非常に重要であり、TVという多数のマスを相手にしている限り、この「わかりやすさ」は基準となるわけだ。TVSPOTの高額な単価を考えれば、それこそ「わかりやすい」。

さらにはお笑いのほめ言葉として「わかりやすい」というモノもある。笑いがストレートに届くからである。

小泉元首相の劇場政治、さらには、現在破竹の勢いの橋下徹大阪市長の大阪維新の会の船中八策にも通じるものだ。

これらは、ある意味ではコンセプトメッセージの切れの良さを伴うと同時に、それからこぼれるわかりにくさのムダをそぎ落としてエッジを出す行為でもある。

その時に、危うさを感じさせるのだ。

特に変化の速いこの時代には、あくまでも直観し、大いなる悩みと考察と、そして何よりも必要な動物的勘の働きが重要と考える。

変化には、君子豹変す、朝令暮改当たり前としなければならないとも思う。

そのことが可能になるには、小手先の「わかりやすさ」や「ビジネスモデル」ではない。深い思慮を伴った本質を突く未来へのビジョンなのだ。

そのビジョン創造の「0-1創造」をいかに生むか。

おそらく小泉元総理にしても橋下市長にしても、単に劇場劇をやりたいのではなく、そのビジョンを「わかりやすく」伝えようとしているのだろう。でないと具体的にならないからである。

しかし、この「わかりやすく」が曲者だ。

ソーシャルの時代、この「わかりやすく」を大衆が求める行為こそが「危機」なのだ。
深く考えない国民。それこそが、日本を破滅に導く本質的な愚かさの「危機」。

考えろ!感じろ!わが日本。

昨年の12月3日に木材会館で行った「木暮人倶楽部」が共催したイベント「木の国再び」では、「法隆寺五重塔と東京スカイツリーの共通性に見る日本文化の未来」というパネルディスカッションを行った。

そのイベントでは、元東京芸大学長で、彫刻家の澄川喜一先生にご登壇いただいて、氏がデザイン監修を行った「東京スカイツリー」の事をいろいろうかがった。

「東京スカイツリー」は、下が正三角で、上に行くにしたがって円柱になっている非常にユニークなデザイン設計が話題だ。

あの狭い場所での設計としてとりいれられた形のようだが、デザイン的には面白い効果を生む。

それは、あの塔が二等辺三角形のように左右対称に見えるポイントは三ヶ所しかないという事。

つまり、正三角形それぞれの頂点からまっすぐに直角におろした線の延長線上でないと二等辺三角形には見えないという事だ。私のいる秋葉原のダイビルからは、やや右に傾いているように見える。いろんな場所で、右や左に傾いているように見えるのだ。

澄川先生がそれを「不思議さ」と呼んだ。

造形の「不思議さ」と、それが人の心をつかむポイントで芸術が売れる本質なのだとおっしゃっていた。

これはまさしくヒットの極意であり、古今東西の芸術のありようという事なのだと感じ入った。

そうやって見てみると「東京スカイツリー」のなんと面白きことか。

五重塔の心柱構造も含めて、やはり日本人の知恵の結集が「東京スカイツリー」。これを日本の未来の象徴とすることで、日本はよくなる。またそう信じたい。

知恵を出そう。わが日本!

先日、一橋大の古川一郎先生から、「地域活性化のマーケティング」という本を謹呈していただいた。先生とはマーケティングの様々な活動の中で親しくさせていただいている。

まだ、しっかりと拝読していないが、そのさわりを読むにつけ、やはりうまくいかない地域の活性化には根本的にマーケテイングの視点が足りていないのではないかと感じる。

そのしっかりとした調査による成功事例やデータ分析やフィ-ルドワーク的実感の記述を見ると、はしがきに古川先生が書いておられるいくつかの事を私も感じる。

まず、第一に地域の活性化は、「地域経営」にありという概念。

行政問題ではなく、歴史問題ではなく、生活問題でもなく、というよりは、それらは当たり前として、地域は経営視点で見なければ活性化は難しいのではという命題である。

古川先生は地域は経営するものであると言い切っている。

そして、その上で、イノベーションが重要であると企業の経営にも共通の命題を提示している。もちろん、企業のマーケティングと地域のマーケティングは同じではないとしながらも。

そして、イノベーションとマーケティングが両輪とならなければ、地域の経営はできないと結論付ける。

この両輪ということが本質的な問題なのだ。

旧来型のマーケティングでは、今日のあらゆる諸問題には完全に対応できない。データオリエンテェッドから導き出す、戦略論的マーケティングではこの複雑な時代には解とならない。

そのことを私は3Mへのシフトとして説明している。ムダ、ムチャ、ムリの薦めである。
イノベーションとはこの3Mの先に起こるものだと思っているからである。

特にムダという言葉には否定的な反応が多かろう。もちろん、単なるムダはやはり削除の方向を考えざるを得ない。当たり前の経営行為だ。

しかし、その一見ムダから生まれた数々のヒットの事を考えるとき、そのムダ(そのほとんどはムダだからやらずにおくのムダ)の存在を頭から否定することがイノベーションを妨げる議論は多い。

これは地域の活性化についても同様だ。

特に、がんじがらめの地域経営は、3Mが重要なのだ。ムダと思われるトライや伸びしろの再検討の必要、強力に物事を進めるある意味強引さを伴うムチャな当事者=プロデューサーの存在、そして、ムリなことをムリとあきらめずに、柔軟に、そして強引にやってみる勇気。

そんな3Mの片鱗がこの「地域活性化のマーケティング」の成功事例には見て取れる。

黄金比と白銀比という比率がある。

黄金比は、例のダビンチの円の中に人がいる人体図や有名な「受胎告知」にも表れている比率で、1:1.618の比率だ。

この黄金比は、とにかく西洋的なものの中には様々な形で表れてくる。エジプトのピラミッド、パルテノン神殿、ミロのヴィーナス、すべてともいえる西洋的な芸術の中に、この美の究極の比率が見て取れる。

ある意味では西洋的な美の象徴とでもいうべきバランスだ。

それに対して、わが日本独特の比率が白銀比(秋山清氏はこれを大和比と呼んでいる)である。1:1.414。

日本の美である金閣寺や法隆寺、四天王寺などの日本建築に多く表れる日本ならではの比率だ。

どうやらそれは、その大和比を重要な基準にしている伝統的な建築道具「指金」にも表れているらしく、表と裏の比率がそれぞれ、1;1と1:1.414となっているという。それらの影響ではないかと秋山さんは著書で書いている。

これらの黄金比と大和比は、生命と宇宙の根源的な謎を解く2つの比率と言われていて、様々な文献に登場する。

それもそれが色濃く表れるのは芸術の世界、いわば「美」の世界だ。

「美」は、人間独自の世界観であり、それは哲学、文学、数学、化学等、人間と世界を繋ぐ不思議な存在ともいえる。人間とは本来「美」を求めて生きていくモノなのかもしれない。

そんな「美」に関する2つの定理が存在すること。さらに言えば、その一つがわが日本独特のもので、それが黄金比と密接な関係を持ち、多面体に様々な形で表れるということ。

そんな不思議な事実を考えるとき、わが日本の尺度、その独自性に対する新たな興味もわいてくる。

もしかして、日本という独特の民族、歴史、文化は、世界から見ても非常に特殊でかけがえのないものなのではないかという自負心も伴う。

東日本大震災の時に、震災にみまわれた日本人たちに賞賛の声が世界中から寄せられた。

そんな世界に誇る日本の良さは、もっといたるところにあるのかもしれない。いやあるのではと思わないではいられない。

日本のこれからは、この日本のユニークな素晴らしさを我々日本人が信じれるかにかかっている。

吉田就彦

Authour:
株式会社ヒットコンテンツ研究所
代表取締役 吉田就彦

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