やっと「木のいのち木のこころ<天・地・人>」を最後まで読み終えた。
文庫本にして562P。本来ならば3冊の本を1冊にしたものだ。
この本は、、最近私がハマっている宮大工「西岡常一」法隆寺薬師寺棟梁とその唯一の弟子「小川三夫」鵤工舎棟梁、そして、その弟子たちの宮大工3代の聞き書きの本だ。著者は、西岡常一棟梁、小川棟梁、そしてこの大作の実質上の作家塩野米松氏。
この本の中には、法隆寺最後の棟梁だった故西岡常一棟梁から受け継がれた宮大工の口伝が弟子、孫弟子と伝わっていく、まさに人間の歴史のつながりが詰まっている。
この本は、これも最近ハマっている「新月の木」のことを調べていくうちに出会ったこの本なのだが、この本の中にはその「新月の木」などの木のこととともに、宮大工という人間のことが同じように深く書かれている。
タイトルの「木のいのち木のこころ」とは、まさに「人間のいのち人間のこころ」と読み替えられる。
私は、今、デジタルハリウッド大学や大学院、さらには、企業研修など、人材教育という仕事にも携わっている。そんなことから、人に何かを伝えるということの難しさをよく感じる。
そんなことを西岡棟梁や小川棟梁はいとも簡単に諭す。
本や言葉や知識で覚えることはたやすいが、それでは人は覚えないという。
頭で覚えたことは、やがて忘れてその人の身にならず。
どこで覚えるのかといったら、それは「当然、手が覚える」のだと言う。
思わずうなった。大工であるから当たり前と言えばその通りだが、「手が覚える」のだ。
そんな教育ができないか、そんな残るメッセージができないか。
私も一期一会の思いで講義や研修をやっているつもりだが、手で覚えるように、教えられるのか。いつも自問する。
「やってみせ、やらせてみせ、(一緒にやってみせ、)ほめてやらねば人は育たじ。」これは山本五十六の言葉だそうだが、同じようなことを西岡、小川の両棟梁もおっしゃっている。
西岡棟梁は言う。
「中国の老子という人は、教育は人間をだめにすると言うてますな。」
と。う~ん。
一方、この宮大工棟梁という仕事は、私が今提唱している「ビジネス・プロデューサー」の仕事と実によく似ている。ビジョンを立て、それをカタチにするために、配下の「人」を有効に使い、あの大きな塔や寺を完成させる。その極意は「人組み」だという。
私は提唱している「組織力」「働きかけ力」、そして、「完結力」。これらの棟梁の器がなければ去れと法隆寺棟梁の口伝にはある。
「百工あれば百念あり、これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。」
「百論をひとつに止めるの器量なき者は謹みおそれて匠長の座を去れ」
まさにビジネスプロデューサーの覚悟だ。
まだまだ考えさせられること多く、頭が下がるばかり。
研鑽は続く。



