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吉田就彦のヒット学

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本日夜、鳥取県智頭町のPRイベント「疎開保険&森林セラピー―みどりの風が吹く疎開の町・鳥取県智頭町へ」に参加した。

昨年鳥取県庁に呼ばれて講演に行った際、木暮人倶楽部の事があり、県の林業行政の皆さんに、とにかく森の人、木の人、林業の人、木工の人を紹介してほしいと依頼して、ならば智頭町だと、講演の翌日に視察に連れて行っていただいた縁で案内いただいたイベントだ。

智頭町では、木工制作を行っている(株)サカモトを訪れ、女性社長の坂本さんから取り組みの話をいっぱい聞いた。智頭の杉は本当に素晴らしかった。

また、凄い木造住宅の「石谷家」。ともかくその豪華さにびっくりする大豪商の家。こんな山の中になんでと思うような贅沢さで驚いたものだ。

そんな縁で参加した本日のイベントは、智頭町が加盟している「日本で最も美しい村」連合の虎の門の東京事務所で行われた。本日のメインテーマは先日私が日経ビジネスオンラインにも書いた「疎開保険」。加入者の方も多く参加されていた。

寺谷町長のトークに始まり、智頭町のPRプレゼン&VTR、そして、智頭町産の食材を中心とした軽食などによる立食パーティーで、最後にはビンゴ大会。

ともかく寺谷町長のパワーは凄い。なんでもいつまでもしゃべっているという噂で、長いときは3時間を超えるということだった。本日は控えめだったようだが。

実際にお会いして話すと、そのお人柄から醸し出される優しいメッセージが、ついつい人を引き付ける魅力をお持ちの方で、そんな方が旗振る「疎開保険」や「森林セラピー」、「森のようちえん」等の試みは、まさに人のつながりの上でないと成立しない施策だ。しかもそれが行政の施策である。まさに血が通う行政を見た。

これからの日本の未来にもっとも重要な「人」というコネクション・キーワードを生き生きと町の職員の方が拡大させていく智頭町。

本日の私のごあいさつでも申し上げたが、ともかくみんなが動いている感じがする、人が生き生きと動いている感じがある。

これからの日本を考えるとき、人が動くこと、それも生き生きと動くことがもっとも地方に必要なことだ。考え込んで頭を抱えるだけではなにも進まない。ためらってはいけない。ともかく動くこと、やってみること、それが例え小さな一歩でも、その一歩が次の一歩を生み出す。なにも地方に限ったことではない。日本全体に言えることだ。

寺谷町長の明るさが、それに加わることで、またなにかが動く。そんなGOODループの芽が智頭町にはある。

ビンゴの商品で、智頭米「源流育ち」をいただいた。

会場でもうまい米をおにぎりと卵かけごはんでいただいた。そんなうまい食事も、おそらく「人」の動きのGOODループの中で、さらに様々な「人」の手がかかりうまくなったのだと思う。

どうも、ごちそうさまでした。

頑張れ!智頭町

松井冬子という日本画家がいる。

先日のNHK紅白歌合戦で審査員になったほど、知名度と人気が高い女性日本画家だ。

その美貌と作品世界の独自性により、日本画というよりは、日本の現代美術界に革命的な存在となっている。

その大規模な個展を横浜美術館に観に行ってきた。

彼女が描くモチーフは、「幽霊」「内臓」「骨」「死体」「兎口」。日本画独特の彩度の低い深い世界とからまって、それは恐ろしく美しい。痛い。

さらに、日本画ならではの手法なのかもしれないが、ディテールにこだわり、その細密な塊が集合化されることで、すさまじいい迫力を生む。

大作を描くための習作も数多く展示されているのでそのことがよくわかるが、細部にこそ神が宿ると言ったある映画プロデューサーの言うとおり、まさに神がかりともいえる。

しかも、葉の一つ一つにも個性をというように、その習作デッサンの中に、「ひとつひとつのディテールが同じ様にならないように」と彼女の但し書きも読める。

緻密な、そして、集中力の産物として、あの巨大な作品の一部が十分に主張しているのである。

そもそも日本画は、シンプルで研ぎ澄まされた1本の線の凄味で主張する画だ。西洋画とはまったく異なる手法だ。省いて省いて、ムダなものを削って削って、残る1本の線の力がすべてである。

松井冬子も、日本画の王道を歩んでいるように思う。
その上で、2点ほど彼女独特の世界を垣間見る。

まず、その題材のグロテスクさを美に昇華させるディテールの緻密さと色。デッサン力が緻密であるがそのグロテスクはグロとはならない。

それは、やはり色の問題だろうか。写実的でありながら、現実とは異なる松井冬子の世界感の中にいる感じ。彼女の頭の中にいるのでグロにならない不思議な感じ。それは独特の日本画的な感覚なのかもしれないし、冬子独自の世界とも言える。

もう一つは、そのタイトル。

普通日本画は言葉であまり説明もしないし、主張はしない。「~~の図」であり、「花」であり、「鳥」である。

しかし、松井冬子の作品には、「世界中の子と友達になれる」「絶え間なく断片の衝突は失敗する」など、思想的、哲学的、文学的なタイトルが多くある。まるでシュールレアリズムの作家のようだ。

今までの日本画にはない哲学のメッセージとも取れる。日本画では、画は「ただそこにある」ものへの心情を映す鏡という意味合いが強く、これは日本文化全般にいえることだが、一見何もない中に何かを見る(見せる)ことが尊ばれると思われるが、彼女は異なる。

この感覚は、まさに王道ではなく邪道と言われかねない彼女の存在の新しさを示している。革命的ともいえる。

そうなのだ。

彼女は今を生きているまぎれもない日本画家であり、今を敏感に感じている芸術家なのだ。

それは「現代の病を題材にしている」という彼女のこういう言葉に表れている。
パンフレットのあいさつの最後の言葉だ。

「痛覚は、われわれの身体的共感を持ち、直観的なるものを暗示している。その感覚をアウフヘーベンし、美術として飛躍させられると私は信じている。」

賛成!

今こそ、政治、ビジネス、社会などすべての事にアウフヘーベンが求められている。

吉田私塾「戯塾」ではそんなことを話したい。

今回の東日本大震災で海外での報道と日本の国内の報道の違いが明確になった。

普段はなかなかつかめないことが多いがこの大災害の緊急時には、その違いが明確になる。

そのもっとも異なった報道の違いは、やはり原発の問題。

その危険性の指摘や、SPEEDiなどの放射線の計測データの公開など、これまでのように、政府などの公の情報を流すことが一辺倒だった日本のマスメディアと独自の取材や多角的な事実の報道という姿勢が感じられた海外での報道との違いはあまりにも異なる。

もっとも、渋谷のライブハウスが原発だなどととんでもない誤報道をしたFOXニュースもあったが、それにしても誤報道であることを修正し、常に事実を追求しようとする姿勢は感じられた。

さらには、スリーマイルの事故との違いで様々なメディアで指摘されたのが、情報の一括。政府や原子力保安院、東電、しかもその様々なレーヤーや人によるばらばらの記者会見による報道。

報道するマスメディア側も混乱してしまうのも無理はないが、やはり真実を伝えるという存在意義で言えばあまりにもオフィシャルの広報スピーカーになってはいないか。

TVに出てくる学者の皆さんは、版を押したように「大丈夫、大丈夫」と。さらには「想定外、想定外」を上塗りする。

まるで、東電や政府の検閲にあっているようなトーンだ。NHKはある意味しょうがないとしても民放も右へならえでほぼ同じ。少なくとも、慎重派、楽観派の2つの視点ぐらいは示して、新しい事象から起こる未来の予想ぐらいは言ってほしかった。常に政府と同じ後追いだった。

日本国民の過剰な国民性を鎮静化させることも重要だろうが、あまりにも一方的な大丈夫合戦にかえって不安になる。

ソーシャルメディアのある意味いい加減な過剰増幅も問題だが、そのスピード性や共有性においてマスメディアよりも、今回の大震災では初動に活躍したのも事実。

しかも、それはマスメディアを通じて報道される日本の報道ではない海外報道の存在も明らかにし、共有させた。ニュースの性格は違うが、中東で起こっていることとまったく同じ作用である。

今回の大震災。メディアとソーシャルメディアの逆転の象徴的なスタートとなる3rdインパクトの出来事になる。

本日、デジタルガレージが主催するThe New Context Conference 2011 Springに行った。

東日本大震災を受けて急きょ短縮し、震災向けのメッセージある国際的な素晴らしいカンファレンスだった。

ジョイこと伊藤穣一がホストとなり、アメリカを中心とした数多くの海外人たちからの今回の大震災のとらえ方は本当に参考になった。

詳細は以下のURLを参照してもらうとして、

私が特に面白かったいくつかについてコメントしたい。

まず、マスメディアとソーシャルメディアとの関係を考えるセッションで、総括的に出たまとめとして、

「最初は新しい情報源、そのあとはマスコミ情報の拡大機能にTwitterはなった」

という分析だ。

これはまさしく私が4thインパクトとして、言っているマスメディアの前にコミュニティメディアが先に行くという仮説を裏づけるもの。それが非常時に起こったという意見だ。

2011年、私が3rdインパクトと言っていた今年、この非常時にまさに予言的に起こったというわけだ。

私が予見する4thインパクトは2013年。その時にはこのことが定常化していると私は言っている。今のメディアの人間は皆、否定的ではあるが。

もう一つは、今回の震災で話題となったPRAYforJAPANの今後の展望だ。

慶応大学の学生である鶴田君が立ち上げたPFJ、その活動が話題になり書籍になるということで、その印税を被災地に使おうというところで言った発言。

「本の印税を公共のためにどう使えるかをPRAYFORJAPANでは考えて今議論している。大した金額ではないこともあり、これから被災地で起こす事業を応援する活動がいいのではないか」

ようは直接的に支援できるお金は微々たるものなので、これからの復興に欠かせない新しいビジネスを生むエネルギーに投資して支援することで皆の思いを届けようというメッセージだ。

若い学生ならではの発想でもあり新鮮だった。しかも、頼もしい。

午前中のセッションしか参加できなかったのだが、その他、原発の問題を深く考え、行動しようとするジョイたちの試み「RDTN」の紹介もあった。

ともかくみんなの力を合わせて放射線のセンサーをたくさん立て、なければ作り、それのデータで様々な動きを促進しようという試みだ。

この時期に行ったセミナー。意義のある素晴らしいものだった。

ホストジョイに拍手!

今回の東日本大震災が過去の大震災と決定的に違うのが原発の問題だ。

その事故について、原子力利用を推進してきた専門家らが「より深刻な放射能汚染の可能性を排除できない」として、事故に至ったことを国民に陳謝し、専門家の総力を結集して事態の収拾に取り組むよう政府に提言した。1日に都内で記者会見を行った。

このことを本日の朝日新聞が伝えているが、連日報道されているTVのニュースでは見ることがなかった。重要なメッセージであるのにもかかわらずだ。

松浦祥次郎・元原子力安全委員長、田中俊一・前原子力委員長代理、住田健二・元原子力安全委員長代理ら、原子力利用を中心的に推進してきた面々が名前を連ねる。

その最大のリスクは、炉心が溶融しており、圧力容器を溶かして格納容器も壊す恐れが否定できないとの指摘。連日TVで言っている鋼鉄製の容器で、これには現在損傷は至っていないと報道されているものだ。最後の砦である。

松浦さんは、「謝って謝れる問題ではない。この事態を避けることに失敗した人間として、考えを突き詰めなかった点で社会に対して申し訳ない」と述べたという。

松浦さんの勇気を評価するとともに、その苦渋を察するが、それにしても取り返しがつかないことである。

先日のこのブログでも書いたように、もはや原発は日本には抱えることのできないリスクの塊だ。専門家が総力を挙げても対応できるかどうかという代物だ。当然、現場を抱えている当事者は必死にやっているわけだから、松浦さんのような立場の方の発言は重い。

この事態の収拾は、それこそ、国家や専門家、海外を含めた世界規模でなんとか収拾してもらいたい。祈るばかりだが。

しかし、問題は今後である。

吉田就彦

Authour:
株式会社ヒットコンテンツ研究所
代表取締役 吉田就彦

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