木暮シャケ武彦君のライブを、吉祥寺のスターパインズカフェで観た。
このライブハウスは有名人のライブも多く、実は私のバンド「THE LOOSE & BEAT」でもお世話になったことがある老舗の吉祥寺のライブハウスだ。
私と木暮武彦、シャケ君とはもうかなり長い。私のポニーキャニオン時代で、おそらくもう20年近く前に、バリバリの元レッドウォーリヤーズの、ロックンローラーとしてのシャケ君と仕事をしたことがきっかけだった。
どうやらその当時、私がインパクトを受けた映画「ガイヤ・シンファニー地球交響曲」の第1番を観た直後に彼と話したらしく、その時に彼に薦めて、当時の六本木WAVEの映画館でやっていたガイヤをリアルタイムで、最終日に彼が観たということを先日彼に会った時に聞き、懐かしくもびっくりした。
昨年、私が「木暮人倶楽部」を始めた時に真っ先に頭に思い描いたのはシャケ君の事で、久しぶりにコンタクトをとったのだ。その再会の縁で最近彼が出したCD「水と光の魔法」(Clear sky)の発売記念ライブツアーの最終日に行ってみたわけだ。
先行して行われた関西ツアーでは、私の友人で、くいだおれ太郎のマネージメントをしている音楽評論家K氏から、ライブ後の長文の興奮したメールをもらっていて期待が膨らんでのライブだった。
ともかく素晴らしかった。サポートのキーボードの三国さんとのアンサンブルに多少のロック過ぎるノリを感じることもあったが、そこは、まさに今のシャケの音楽空間だった。
富士山裾野に住み、森を感じ、樹海にインスパイヤーされ、作り出されたシャケの音楽。彼曰く、この音楽を都会の人にこそ聞いてほしいとメッセージした。
私はともかくいい音のシャケのアコースティックギターの音にしびれたが、その素晴らしい音に聞き入っているうちにこのシャケの音楽についてある考えがよぎった。
それは、音楽と言葉という概念の統合問題だ。
シャケの今のアコースティックなニューエイジ系の音楽には、言葉を超えた不思議な広がりがあるのだ。
その楽曲のタイトルは、「青葉の歌」「海」「あやふや」「ひまわり」「蜂と少年」、、、、
先日このブログで書いた日本画家「松井冬子」のことは、日本画にもかかわらず作品に哲学的なタイトルを付加した事がユニークと書いたが、シャケが書いた曲のタイトルは、まるで表意文字的ではない感覚のイマジネーション世界のタイトルだ。
しかも、昨今のシャケの音楽は、言葉のない歌のないインストの楽曲なのだから、言葉に直接的に影響を受けない。その音楽は、タイトルという言葉をあしらうかのように、音として音楽として自由に聴こえた。まるで、昔のクラッシック音楽のようだ。JUST音楽。
シャケは、おそらく音楽という抽象的な概念をクリエイトしたのだ。そこには音や音楽という非常に抽象的な芸術の極みがあり、タイトルというある意味規定的な言語を、曖昧なまま受け入れるスタンスとしての音の確かさがあった。
私とシャケを知るある友人が言っていたが、シャケはやはり哲学者であり、音楽的芸術家なのだ。単なるロックンローラーとはまったく一線を画している。しかも、ロックンローラーとしても超一流だった。
そんな彼と、偶然にも木暮つながりになる「木暮人倶楽部」を私がやることになり、必然的な再会を果たした。シャケの音楽が放つメッセージと私が木暮人倶楽部で放つメッセージは大きく重なる不思議さでの再会でもある。
そんな再会を喜びつつ、これから我々がコラボしていくことが、大きく世の中に影響を与えるのではないかとの期待もしてしまうライブだった。
木暮シャケ武彦は、未来をメッセージする芸術家、音楽家だ。そして、私がこれから展開していく「木暮人倶楽部」は、まさに未来の日本を、世界をイメージして活動を行うことにその意義があると思っている。