ヒットコンテンツブログ

吉田就彦のヒット学

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「ヒットコンテンツのメカニズム」その2

NECが運営するビジネス情報サイト「Wisdom」にて
Wisdomブログ「明日のビジネスを創りたい人へ ビジネスにおけるキャラクター活用」
対談シリーズとして掲載されているインタビュー内容です。
インタビュアーは野澤智行さん、他です。

1.ヒットコンテンツの共通法則
1)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -チェッカーズのキャラクター戦略-(続き)

吉田 :レギュレーションづくりということで言うと、コンセプトプランを当時「無印良品」などの仕事で活躍していた秋山道男さんにお願いしました。秋山さんってちょっと変わった人で、テキ屋のおやじみたいな感じだった(笑)。その普通とちょっと違う感覚をどう上手くプロジェクトに取り入れるかということで、さまざまな利害関係者の調整が大変でした。
変な話ですけど、僕がプロデューサーとして行ったことは、水と油を何とかして一緒にするということでした。チェッカーズにおける僕の最大のプロデューシングはそれでしょうね。もう、パンク対保守みたいなもので、それを強引に一緒にするみたいな。それがまさに僕がやったプロデュースだった。

野澤 :チェッカーズのやりたいことと秋山さんのやりたいことも全然違うし?

吉田 :違いましたね。皆、それぞれ違う。ただ、フミヤの感覚に合わないものだけはやめようと思っていました。彼だけですね、面白がっていたのは。あの衣装で泣いていたやつもいましたしね。
さまざまな調整で形にするだけならまだいいけど、形にする=成功させなきゃいけない。何とか彼らにやらせるところまでは出来るけど、当てなきゃいけない。そうしないと僕のプロデュースを信用してもらえない。マーケティングにおいても、また更に色んなことがある。だからまあ面白かったですけど。僕が25歳の時です。

野澤 :当時の吉田さんは、秋山さんよりも、チェッカーズに近い年代ですよね?

吉田 :そうです。本当に新入社員に近い状態だったのが、最後は親会社でもあるフジテレビとかニッポン放送とかフジサンケイグループまで含めて調整しながらプロデュースしないといけなかったんで、大変でしたよ。

野澤 :任せる方も凄いですね。

吉田 :任せる方が凄いというか、あの当時売れっ子ディレクターはある意味天皇だから、そのプロジェクトにおいては社長よりも影響力があるわけです。しかも、自分でやりますって言っているので、自分で責任を取るしかない。うまくいっている時は吉田にやらせておけばいいわけですよ。売れればいいんだから。
さまざまな事を乗り越え形にして成功させたことが大きいですね。勝てば官軍ということでしょうか。チェッカーズは本当に大変でした。何冊も本が書けるくらい色んなことがあって。なので大変だけど面白かったですね。
一番残念なのは、彼らが最終的にメンバー間の仲が悪くなったって報道されたことですね。一人亡くなりましたし。それが残念だし、悲しい。関わった人間としては。戦友みたいなものですからね。

野澤 :それこそ、人とキャラクターの違いですよね。人だとどうしても、良くも悪くも変わっていっちゃったりとか、やりたいことがあったなら、どうしてもそちらの方に、そっちの方に行かない方が良いのに行っちゃったりする。

吉田 :もちろん人間が関わっているので違った力学も働くし、ヒエラルキーの組織としても力学が働くし、人間個人としての思惑も働く。そういうことが全部入り乱れている。特に芸能界なんてその巣窟。力関係から始まって、ありとあらゆる力が働く。

稲葉 :よく広告にも、タレントを使うのかキャラクターを使うのか、スポーツ選手もそうだけど、使われた時に色々リスクがある。そんな中でキャラクターはどうなの?という比較論に最近なっていることが多い。それはリスクを心配する方の社会になっているので。だけど、キャラクターは自信を持って「大丈夫」と言えるかどうか、互いに交わした契約内容次第であって、本当はそう言いきれないこともあったりします。そこら辺は、せめぎあい。安全かもしれないけど売れない、売れるかもしれないけど危ない、どっちを取るのかという話ですね。

野澤 :そういう点では、人は一度人気が落ちてダメになった場合でも再び脚光を浴びたり復活することがあるかもしれないけど、キャラクターの場合、売れなかったら終わりというところもありますね。ドライ。キャラだと一気にガッと来る分、一気に引くのも早いです。

吉田 :僕はポニーキャニオンに入った後、まずロックバンドの宣伝プロデューサーをやりました。Charとか、その後俳優になって成功した、陣内孝則くんのいたロッカーズとか、うじきつよしくんのいた、子供ばんどとか。
1年でライブハウスに500回くらい行くみたいな世界で、彼らとは年齢も近かったので、毎夜毎夜バンドと何かやっていたわけです。ところがどんなに一生懸命頑張っても、僕が良いなと思っても売れなかった。今ではJ‐ROCKとかいって、GLAYが500万枚売れる時代にもなったけど、あの当時はロックなんて全然売れない。しかもアメリカとかイギリスのロックはかっこいいけど日本のはかっこ悪い、みたいな若者の風潮があって、Charが多少売れて3万枚とか、それぐらいの世界だった。そんな感じでやっていたので、これはいかん、と。

吉田 :たまたまチェッカーズは、ヤマハのバンドコンテストから出てきたバンドでした。東京で言うとイーストウエストと同様のエルモーション(L-MOTION)という九州の大会があって、1981年のジュニア、高校生の部で勝ちあがってきた。大会の主催がヤマハの楽器屋さんだから、楽器演奏が上手いほうが当然良いんだけど、その頃のチェッカーズは物凄く下手くそだった(笑)。だけど、ステージがメチャクチャ面白かった。
何をやっていたかというと、昔のドゥーワップの曲「Yackety-Yack」を、「やけとうや」という九州弁に変えて、火事になってるぜと、カチカチ山みたいな久留米弁にカバーして変えて、寸劇っぽい振付をやりながらステージをやってました。

稲葉 :ミュージカルのような感じなんでしょうか?

吉田 :まあミュージカルほど大げさではないけど、寸劇のようなことを入れてやったところに凄いエンターテインメント性を感じて面白いと思いましたね。
それから何と言っても、藤井フミヤの、この子は女の子にモテるなと感じた仕草がありました。キャラクターにも影響するんだけど、仕草が、「スカす」という、髪を振りながら歌うのが、女の子にはたまらんだろうなと。その、たまらんと思われる、フミヤのスカす感じのアイドル性と、バンドとしてのエンターテインメント性が凄く面白かった。
そんなこともあって、将来性があると審査員からも判断されて、その場ではジュニアのグランプリを獲りました。当時はフミヤが高校3年生、弟の尚之が高校1年生で、東京に出てきなさいと言っても無理なので、弟たちの年代が卒業するまで2年間待ちました。
その時僕は宣伝、マーケティングの担当で、自分でやっていた同じ九州出身のロッカーズが売れなくて悩んでいました。シャープだし凄くハイセンスだし、時代的にも凄くかっこいい。吉田カツさんがビジュアルをやったり。そうそうたるメンバーがやっていた。でも全然売れなかった。

【キーワード1-③:大衆性・エンタメ性をアピールするため、バンドのキャラクタライズを考えた】

吉田 :売れるために何が必要かな?と思いながら、フミヤのかっこつける感じとか、エンターテインメント性は、大衆性があって面白いと思って、絶対やるべきだ、とその当時のディレクターに言いました。そうしたら2年後、そのディレクターが配置異動になって、僕が25歳の時に替わりにディレクターになったんです。お前がやると手を挙げたのだから責任を取れ、という感じです。
同じ九州の出身で、ロッカーズは散々かっこよくやっていたけど売れない、だからチェッカーズの時はなにか考えなきゃいけないと思った。つまりキャラクタライズする、キャラクターをつけないと上手くいかないと思っていました。当時は燕尾服を着てドゥーワップをやっていて、あの当時で言うとシャネルズの弟、九州版みたいな感じ。当時ランナウェイがブレイクしていたので、当然、それの弟版と言われるし、それだと絶対に兄貴は越えられないと思いました。

その時に思ったのが、シャネルズは本物の黒人志向でいいけど、当時ツッパリロック系と言われていた系譜があって、大ブレイクしていたのが横浜銀蝿、一方では最も人気のあったアイドルがシブガキ隊だった。シブガキ隊と横浜銀蝿がブレイクしていたということで、ある意味作られた大衆性が必要だと感じたんです。
そこで、売るためにはロッカーズみたいな本物のロックの方向性じゃなくて、キャラクター商品としての芸能界に通用するキャラクタライズを、チェッカーズというバンドでしようと思ったんです。最右翼がシブガキ隊で、最左翼が横浜銀蝿、じゃあそのど真ん中をブチ破ろうと思って、チェッカーズをプロデュースしようと思ったわけです。

<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

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What a lovely day for a 849624! SCK was here

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吉田就彦

Authour:
株式会社ヒットコンテンツ研究所
代表取締役 吉田就彦

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