ヒットコンテンツブログ

吉田就彦のヒット学

  • HOME > 
  • 現在のページ:ヒットコンテンツブログ

2010年7月アーカイブ

NECが運営するビジネス情報サイト「Wisdom」にて
Wisdomブログ「明日のビジネスを創りたい人へ ビジネスにおけるキャラクター活用」
対談シリーズとして掲載されているインタビュー内容です。
インタビュアーは野澤智行さん、他です。

1.ヒットコンテンツの共通法則
1)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -チェッカーズのキャラクター戦略-(続き)

吉田 :レギュレーションづくりということで言うと、コンセプトプランを当時「無印良品」などの仕事で活躍していた秋山道男さんにお願いしました。秋山さんってちょっと変わった人で、テキ屋のおやじみたいな感じだった(笑)。その普通とちょっと違う感覚をどう上手くプロジェクトに取り入れるかということで、さまざまな利害関係者の調整が大変でした。
変な話ですけど、僕がプロデューサーとして行ったことは、水と油を何とかして一緒にするということでした。チェッカーズにおける僕の最大のプロデューシングはそれでしょうね。もう、パンク対保守みたいなもので、それを強引に一緒にするみたいな。それがまさに僕がやったプロデュースだった。

野澤 :チェッカーズのやりたいことと秋山さんのやりたいことも全然違うし?

吉田 :違いましたね。皆、それぞれ違う。ただ、フミヤの感覚に合わないものだけはやめようと思っていました。彼だけですね、面白がっていたのは。あの衣装で泣いていたやつもいましたしね。
さまざまな調整で形にするだけならまだいいけど、形にする=成功させなきゃいけない。何とか彼らにやらせるところまでは出来るけど、当てなきゃいけない。そうしないと僕のプロデュースを信用してもらえない。マーケティングにおいても、また更に色んなことがある。だからまあ面白かったですけど。僕が25歳の時です。

野澤 :当時の吉田さんは、秋山さんよりも、チェッカーズに近い年代ですよね?

吉田 :そうです。本当に新入社員に近い状態だったのが、最後は親会社でもあるフジテレビとかニッポン放送とかフジサンケイグループまで含めて調整しながらプロデュースしないといけなかったんで、大変でしたよ。

野澤 :任せる方も凄いですね。

吉田 :任せる方が凄いというか、あの当時売れっ子ディレクターはある意味天皇だから、そのプロジェクトにおいては社長よりも影響力があるわけです。しかも、自分でやりますって言っているので、自分で責任を取るしかない。うまくいっている時は吉田にやらせておけばいいわけですよ。売れればいいんだから。
さまざまな事を乗り越え形にして成功させたことが大きいですね。勝てば官軍ということでしょうか。チェッカーズは本当に大変でした。何冊も本が書けるくらい色んなことがあって。なので大変だけど面白かったですね。
一番残念なのは、彼らが最終的にメンバー間の仲が悪くなったって報道されたことですね。一人亡くなりましたし。それが残念だし、悲しい。関わった人間としては。戦友みたいなものですからね。

野澤 :それこそ、人とキャラクターの違いですよね。人だとどうしても、良くも悪くも変わっていっちゃったりとか、やりたいことがあったなら、どうしてもそちらの方に、そっちの方に行かない方が良いのに行っちゃったりする。

吉田 :もちろん人間が関わっているので違った力学も働くし、ヒエラルキーの組織としても力学が働くし、人間個人としての思惑も働く。そういうことが全部入り乱れている。特に芸能界なんてその巣窟。力関係から始まって、ありとあらゆる力が働く。

稲葉 :よく広告にも、タレントを使うのかキャラクターを使うのか、スポーツ選手もそうだけど、使われた時に色々リスクがある。そんな中でキャラクターはどうなの?という比較論に最近なっていることが多い。それはリスクを心配する方の社会になっているので。だけど、キャラクターは自信を持って「大丈夫」と言えるかどうか、互いに交わした契約内容次第であって、本当はそう言いきれないこともあったりします。そこら辺は、せめぎあい。安全かもしれないけど売れない、売れるかもしれないけど危ない、どっちを取るのかという話ですね。

野澤 :そういう点では、人は一度人気が落ちてダメになった場合でも再び脚光を浴びたり復活することがあるかもしれないけど、キャラクターの場合、売れなかったら終わりというところもありますね。ドライ。キャラだと一気にガッと来る分、一気に引くのも早いです。

吉田 :僕はポニーキャニオンに入った後、まずロックバンドの宣伝プロデューサーをやりました。Charとか、その後俳優になって成功した、陣内孝則くんのいたロッカーズとか、うじきつよしくんのいた、子供ばんどとか。
1年でライブハウスに500回くらい行くみたいな世界で、彼らとは年齢も近かったので、毎夜毎夜バンドと何かやっていたわけです。ところがどんなに一生懸命頑張っても、僕が良いなと思っても売れなかった。今ではJ‐ROCKとかいって、GLAYが500万枚売れる時代にもなったけど、あの当時はロックなんて全然売れない。しかもアメリカとかイギリスのロックはかっこいいけど日本のはかっこ悪い、みたいな若者の風潮があって、Charが多少売れて3万枚とか、それぐらいの世界だった。そんな感じでやっていたので、これはいかん、と。

吉田 :たまたまチェッカーズは、ヤマハのバンドコンテストから出てきたバンドでした。東京で言うとイーストウエストと同様のエルモーション(L-MOTION)という九州の大会があって、1981年のジュニア、高校生の部で勝ちあがってきた。大会の主催がヤマハの楽器屋さんだから、楽器演奏が上手いほうが当然良いんだけど、その頃のチェッカーズは物凄く下手くそだった(笑)。だけど、ステージがメチャクチャ面白かった。
何をやっていたかというと、昔のドゥーワップの曲「Yackety-Yack」を、「やけとうや」という九州弁に変えて、火事になってるぜと、カチカチ山みたいな久留米弁にカバーして変えて、寸劇っぽい振付をやりながらステージをやってました。

稲葉 :ミュージカルのような感じなんでしょうか?

吉田 :まあミュージカルほど大げさではないけど、寸劇のようなことを入れてやったところに凄いエンターテインメント性を感じて面白いと思いましたね。
それから何と言っても、藤井フミヤの、この子は女の子にモテるなと感じた仕草がありました。キャラクターにも影響するんだけど、仕草が、「スカす」という、髪を振りながら歌うのが、女の子にはたまらんだろうなと。その、たまらんと思われる、フミヤのスカす感じのアイドル性と、バンドとしてのエンターテインメント性が凄く面白かった。
そんなこともあって、将来性があると審査員からも判断されて、その場ではジュニアのグランプリを獲りました。当時はフミヤが高校3年生、弟の尚之が高校1年生で、東京に出てきなさいと言っても無理なので、弟たちの年代が卒業するまで2年間待ちました。
その時僕は宣伝、マーケティングの担当で、自分でやっていた同じ九州出身のロッカーズが売れなくて悩んでいました。シャープだし凄くハイセンスだし、時代的にも凄くかっこいい。吉田カツさんがビジュアルをやったり。そうそうたるメンバーがやっていた。でも全然売れなかった。

【キーワード1-③:大衆性・エンタメ性をアピールするため、バンドのキャラクタライズを考えた】

吉田 :売れるために何が必要かな?と思いながら、フミヤのかっこつける感じとか、エンターテインメント性は、大衆性があって面白いと思って、絶対やるべきだ、とその当時のディレクターに言いました。そうしたら2年後、そのディレクターが配置異動になって、僕が25歳の時に替わりにディレクターになったんです。お前がやると手を挙げたのだから責任を取れ、という感じです。
同じ九州の出身で、ロッカーズは散々かっこよくやっていたけど売れない、だからチェッカーズの時はなにか考えなきゃいけないと思った。つまりキャラクタライズする、キャラクターをつけないと上手くいかないと思っていました。当時は燕尾服を着てドゥーワップをやっていて、あの当時で言うとシャネルズの弟、九州版みたいな感じ。当時ランナウェイがブレイクしていたので、当然、それの弟版と言われるし、それだと絶対に兄貴は越えられないと思いました。

その時に思ったのが、シャネルズは本物の黒人志向でいいけど、当時ツッパリロック系と言われていた系譜があって、大ブレイクしていたのが横浜銀蝿、一方では最も人気のあったアイドルがシブガキ隊だった。シブガキ隊と横浜銀蝿がブレイクしていたということで、ある意味作られた大衆性が必要だと感じたんです。
そこで、売るためにはロッカーズみたいな本物のロックの方向性じゃなくて、キャラクター商品としての芸能界に通用するキャラクタライズを、チェッカーズというバンドでしようと思ったんです。最右翼がシブガキ隊で、最左翼が横浜銀蝿、じゃあそのど真ん中をブチ破ろうと思って、チェッカーズをプロデュースしようと思ったわけです。

<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

NECが運営するビジネス情報サイト「Wisdom」にて
Wisdomブログ「明日のビジネスを創りたい人へ ビジネスにおけるキャラクター活用」
対談シリーズとして掲載されているインタビュー内容です。
インタビュアーは野澤智行さん、他です。

1.ヒットコンテンツの共通法則
1)ヒットコンテンツを手がけて得られた発見 -チェッカーズのキャラクター戦略-

【キーワード1-①:理系からポニーキャニオンへ異色の経歴~全てはここから始まった】

野澤 :本日はよろしくお願いします。吉田さんの経歴を拝見すると、ポニーキャニオン(当時はキャニオンレコード)に入社される前、大学が理系だったことがちょっと意外でした。2008年に日本マーケティングサイエンス学会で発表された「ヒット現象の数理モデル~映画ヒットにおけるBlog分析~」も、そういう経験が背景にあるのかなと。

吉田 :実は数式は全然得意じゃないですけど(笑)。

野澤 :そもそも理系からポニーキャニオンに就職したのは?理系の方面よりこちらに可能性を感じた、ということでしょうか?

吉田 :そんな大それたことじゃなくて、単純に言うと数学が出来なかったからです。数学を職業にしたら、これは一生ダメダメだなと。違うことを職業にしないといかん、という防衛本能から出た判断でしたね。

野澤 :だからといって、そう簡単にレコード会社には入れないですよね。

吉田 :そうですね。レコード会社は当時狭き門で、普通はなかなか入れませんでした。それが何故か、偶然入れることになって。簡単に言うと、その後フジサンケイグループの代表も務められた羽佐間重彰さんがいたから入れたんです。僕は羽佐間さんがキャニオンレコードの社長になった第1回目の新入社員だったんです。もし入れてもらえなかったら、僕の人生も大きく変わっていたでしょうね。

稲葉 :羽佐間さんに何かを感じられたんでしょうか?

吉田 :そういうことじゃなくて、おそらく羽佐間さんが、エイヤと目をつぶって吉田を採ってくれたんですね。まさに目をつぶって採ってくれたのだと思う。何故かというと、当時の僕は就職試験の時、髪の毛はオールバックでメガネはサングラスで、黒と茶の格子のチェックのスリーピースを着ていて、ほとんどただのヤクザの兄ちゃん。それで偉そうなことを言う。普通は採らないでしょうね。(笑)

稲葉 :他の入社希望の人たちとは全然違っていたんですか。

吉田 :全然違いましたね。みんなは普通の紺のリクルートスーツで七三に分けて、という時代だったので、とんでもないと思ったでしょうね。皆、厳しい、刺すような目線だったですね。

野澤 :勘違いした野郎がいるぞ、みたいな(笑)。

吉田 :(面接時には)その勘違い野郎の真正面に社長の羽佐間さんがいて、「何十何番吉田です。」と言ってお辞儀して頭をあげたら、いきなり羽佐間社長から出た言葉が、「君はキザだねえ。」でした。
それからほとんど羽佐間さんと一問一答で、そのあとに少しほかの役員さんから質問をされたんですが、最後に羽佐間さんが、「君はどこも受からんだろう。誤解されるだろう。だけど俺はそうは思わんけどね。」と周りの他の役員の方々を見渡すようなしぐさで言ったんです。それで入れた。

野澤 :向こうからすると、何か気に入る部分があったんでしょうか?

吉田 :というか、この生意気な若者に賭けてみようと思ったんでしょうね。
フジサンケイグループによくあるんですが、その後も亡くなった鹿内春雄さんが、フジテレビであの有名なヒットメーカー大多亮さんたちを採った時に、学歴も試験も関係なく面接だけで勝ちあがってきた人だけを採った。花の81年組ですか。映画で大ヒットメーカーの河井真也さんとか大多亮さんとか、たしか皆さん同じ年入社で、凄い豊作の年だった。それは春雄さんが社長になって面接のみで新入社員を採用することを決めて。その時に採った人がその後のフジテレビの発展を支えた。それに近い感じでしょうか。

野澤 :面接のみでの採用、その際の採用基準が大いに気になりますね。人をどうやって発掘して売り出すか、に使えるかもしれないお話ですし。

吉田 :使えると思いますよ。ああいったやり方を何で他の企業がやらないのか。業界の会社が何であれをやらないのか不思議なくらいです。役員さんや社長さんが見る目があればおそらく本当によい結果が出ると思いますね。

稲葉 :難しいですよね。学生からも見られていると思うと、なかなか、冒険というのでもないけど、難しいと思う。

吉田 :とはいえ、僕もその後ポニーキャニオンで散々面接しましたけど、やはり採用は難しい。良いなと思って採っても伸びないとしょうがないし、良いはずだったのに組織が潰しちゃうこともある。バランスだと思うけど。フジは鹿内さんというワンマンの強大なパワーがあったから上手くいったけど、普通の企業だったらすぐ潰されてしまうかもですね。

【キーワード1-②:チェッカーズのキャラクター戦略~ミスマッチとの強引なコラボレーションが功を奏する】

野澤 :吉田さんがやってきたことで、なんといっても面白いと思ったのは、チェッカーズをああいう設定にして売り出したことですね。まさに生身のタレントというかバンドをメジャーデビューさせる際に、予め受け入れられるキャラクターとして性格付けしたわけで。既存グループとの差別化を狙って、元々地元で売っていたスタイルをわざわざ変えて。しかも、その当時まだ食いつかなかったファンを敢えて食いつかせようとして、敢えてああいうスタイルにしたのが、凄いなと。

吉田 :チェッカーズはまさにキャラクター戦略でしたね。髪の毛もチェッカーズカットというキャラクターを作った。

野澤 :当時は女子高生も男子高生も皆チェッカーズカットで、あんな格好をしてましたね。

吉田 :例えば、洋服の生地のチェックもオリジナルで作りました。チェッカーズが衣装の柄を意匠登録した、おそらく初めてのタレントじゃないでしょうか。

稲葉 :昔のタータンチェックが、スコットランドでは家や一族をあらわしていたのと同じ意味合いですよね。

吉田 :そこまで戦略的ではなかったですけど。実際、テキスタイルを組んで。今はなくなっちゃったけど、「一目小僧」というマンションブランドにテキスタイルをお願いして、生地から全部作って、チェックの色々な、白とグレーと黒と橙々色という、特殊なチェックを作りました。

稲葉 :そこまでレギュレーションがしっかりあるとブレないですよね。

<続く>

※この対談は、NECのビジネス情報サイト「Wisdom」のブログ「ビジネスにおけるキャラクター活用」で掲載した内容を、了承の上で再掲載したものです。

昨日、あるイベントで西岡常一棟梁の唯一の内弟子小川三夫棟梁に会った。

西岡棟梁は、最後の法隆寺棟梁として有名な宮大工。残念ながら95年に亡くなって久しいが、棟梁の残された書籍は、作家塩野米松さんの聞き書きにより多数出版されており、私も何冊も読み、いちいち感じ入っていた方だ。

小川棟梁は、その書籍の中にも多数登場する、西岡棟梁唯一の内弟子として有名で、さらには食える宮大工を目指して鵤工舎を立ち上げて、全国の堂塔、仏閣を建立している。現在では、講演等さまざまな活動でお忙しい方である。

昨日は、竹中大工道具館開館25周年記念巡回展の「棟梁」の記念イベントが行われ、そこに参加し、参加後小川棟梁にお会いした。

イベントでは、「西岡常一棟梁が残したもの」ということで、小川棟梁のほかに、建部清哲棟梁、菊池恭二棟梁と実際に西岡棟梁と仕事をともにした棟梁たちが集まり、西岡棟梁のことを盛んに話して頂いた。

冒頭、小川棟梁が立ち上がり質問に答えるなど、200人以上の観客に対してサービス精神を発揮、笑いと和やかな雰囲気でイベントは進行。3人の方の棟梁としての思いを、地に足がついた言葉として受け取った。

そこには西岡棟梁の思いが満ちていて、間接的に西岡棟梁に触れた思いも。

会の後に、例の「新月伐採木」の件で、小川棟梁に伺ったところ、薬師寺や他の文化財修復では特に新月の木は意識していなかったとの弁。

昔から、闇夜伐りの木はいいことはわかってはいるが、大量の木を調達しなければならない堂塔建築では、そこまでなかなか手が回らないというようなニュアンスだった。伐採時期が限られてしまうと調達できないということだ。

小川棟梁は、特に木については多くを語っていないので、そのような弁だったのかもしれないが、やはり、昔から「木六竹八」とともに闇夜伐りはあったわけだ。

さらに、我々の西岡棟梁の旅は続くことになりそうだ。

吉田就彦

Authour:
株式会社ヒットコンテンツ研究所
代表取締役 吉田就彦

ブログメニュー

2011年4月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

ウェブページ

OpenID対応しています OpenIDについて
PageTopに戻る