ヒットコンテンツブログ

吉田就彦のヒット学

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2010年6月アーカイブ

本日6月20日、22時~23時15分のフジテレビ系列のテレビ番組「Mr.サンデー」に出演。

この番組は、いまや大ブレイクの宮根誠司さんと滝川クリステルさんが司会を務めるニュース情報番組。

その最後のコーナーのDr.サンデーにて、AKB48のヒット分析を行う。実は生放送なので大変だ。大きなニュースが飛び込んできたら飛んでしまうかも。

番組ではある世界的ビジネスモデルとAKB48の類似性を指摘して、新しい時代のアイドル作りに迫る予定。さすがに、ネタばれはできないので。乞うご期待!

秋元康さんは知りあいでもあるので、ちょっとなんだかなあではあるが。

17日の日経新聞の最終面の文化欄に「ダリ 妻への崇高な純愛」という記事が載っていた。

岡崎市美術博物館学芸委員の村松和明さんの記事だが、ダリと最愛の妻ガラとの事が書かれていて興味深かった。

実は、私は昨年の秋にスペインに行って、記事の中にも出てくるダリ劇場美術館にも行った。バルセロナから急行で3時間以上かかるフランスとの国境近くの町フィゲラスだ。

その強力な個性から、奇行、神話が多いダリ。まさに奇行の人のようにも思うが、それは当然、彼の天才性への納得感と同義語であろう。

この村松さんが書かれた本「ダリをめぐる不思議な旅」は、天才と狂気とは別の繊細で一途なもう一人のダリを評価してほしいために書かれた本だそうだが、そのダリの人間性はどうであれ、あの圧倒的な作品の前には、ダリ自身の人間性をもふっ飛ばすぐらいの壮絶なエネルギーがある。

そして、村松氏が書かれている奔放な妻ガラとの関係で、墓を別々にしたダリの思いにも触れてエジプトの王にちなんで、臓器の一部を遠隔地に埋葬することや、永遠の命と死後の復活を願うエジプト王の埋葬法から、ガラへの純粋で崇高な愛を指摘している。

このガラへの愛は、本当にすさまじく、これもダリの作品に迸るエネルギーは深いの一言。

ようは、どうであれ、芸術家は芸術の中にすべてを閉じ込めていると私は思うのだ。

昔、生前のダリを取材したNHKのドキュメンタリー番組があった。だいぶ昔のものだが、強く印象に残っているシーンがある。

取材のディレクターがデッサン帳をわたして、何か書いてくれと言ったので、ダリはマジックでなにかを書きだす。

何枚か書いたときに、渦巻状のグルグルを書いたときにディレクターが、「それはカタツムリですか?」と聞いたところ、

ダリが、「カタツムリに見えるんだったらカタツムリにしよう。」
と、そのグルグルをカタツムリにして、いたずらっ子っぽく笑ったシーンだ。

そうなのだ、天才とは自由自在。
いかようにも、どのようにも。

おそらく自分のやりたいことをただ表現すること。
しかもそれは外部からの影響も大なのだ。

6月11日に行われた菅総理大臣の所信表明演説では、新政権のメッセージが語られた。さまざまな難問の中で、真に国民や日本そのものにとって有効な政治を是非お願いしたいし、期待したいと思う。

その中で、私が注目したのは森林事業に対する菅総理の踏み込んだ発言。

それは、閉鎖状況の打破-経済・財政・社会保障の一体的立て直しの項で語られた第4の項目だ。

第4項目の「観光立国・地域活性化戦略」の中で、観光は自然環境を生かすことで地域振興の切り札にするという。中国からの観光客を拡大させるということも謳われている。

また、農山漁村において、生産、加工、流通までを一体的に地域が行い付加価値を創造することができれば、雇用も生まれ、地域活性の切り札になるとの認識だ。

特に、低炭素社会で新たな役割も期待できる林業は、路網整備等の支援によって成長できるのではないかと指摘してもいる。

これらの一連の菅総理の考えは、林業産業従事者に勇気を与えるもので、尚且つ、ビジネウ的にもチャンスが生まれる可能性を示唆している。

そんな首相の方針に、私なりにアレンジを加えると、私が深くかかわり始めている「新月の木」(新月期伐採、葉枯らし乾燥、天然乾燥)が、今の林業にとって究極の付加価値創造なのである。

有機野菜、無農薬野菜が、安心・安全の付加価値によって注目されているように、本来の木の良さを十二分にも発揮できる方法として「新月の木」は素晴らしいのだ。

虫が付きにくく、カビにくく、腐りにくく、美しい「新月の木」は、天然乾燥であることから、木本来の特性である日本の高温多湿に対応することができる。

水分の出し入れ(水分の呼吸)が可能であり、まさに生きているように木の弾力性を確保できている。その弾力性が生む柔軟構造が木の最高の恩恵だ。

人工乾燥は効率が良い乾燥方法だが、実は水分も油も飛ばすので、木の特性を有効化できない。ある意味木が炭化してしまうのだ。炭になってしまうのだ。

なので、「新月の木」が有効なのである。

それを付加価値として、その木としての本来の良さをアピールしていくことで、明日の林業の未来が開くかもしれない。外材にない付加価値とはそういうものだ。

菅総理、山の未来はあなたにかかってる。
林業の未来は、日本の未来でもある。

なぜならば、山が死ねば川が死に、川が死ねば海が死ぬ。海が死んだらもう日本はおしまいなのだ。

68%が森林の国日本。美しい国日本であることの原点は森林なのだ。

最近、うちの周りで異変が起こっている。

ご近所のニュースは、最近、家の周りに蛇がいてビックリするやら、怖いやらという奥様の話。
実は、今、うちの周りに、石原都知事が進めている都の三多摩活性化施策としての30メートル道路建設の工事が進んでいる。

そのために、これまであった造園農家の豊かな自然が破壊されて、そこに住んでいた蛇たちが、住処をなくしてさ迷っていることによるものだ。東京の蛇が受難なのだ。

うちの南側はブルーベリー畑、西は竹藪、東は梅林という素晴らしい環境で、借景によるぜいたくが自慢だったのだが、それが崩れてきつつあるという悲しい話。

まあ、これまでが贅沢すぎたと言えばそれまでだが。

先日のブログでも書いた「うぐいす」や「カッコー」の鳴き声の話。そして、当たり前のように続く蛇の受難。生物多様性とはとても言えない状況の開発。本当に必要なんだろうかとの疑問の嵐。

今年は10月にCOP10が愛知で開かれる。

生物多様性を世界にアピールする場だ。生物多様性とは環境政策の根幹である、多様な生物が共存することが自然環境においては非常に重要という考え方で、今や環境政策では常識になっている。

その世界大会がCOP10。

我が家の周りの生物たちの受難は、本当にこれでいいのだろうか。
それらを考えること、たとえば、都会においてもなるべく木を切らないことの重要性などの議論がもう必要になってきている地球温暖化の状況に、すべての考え方をシフトしていかないと人類は破壊者だけで終わる。

それらは将来の人類にもっとつらい選択をさせることにもなる。

今年のCOP10はそんなことを考えさせるきっかけになるだろうか。

昔、音楽業界にいたものとして、ちょっとショッキングなニュースがあった。あのHMV渋谷店が8月に閉鎖するという。

HMVは一時期、タワーレコード(これもアメリカではクローズし、日本でも苦戦が続いているらしい)と並んで、外資系のレコードチェーンとして一世を馳せた。

特にHMVは、元祖渋谷系の発祥地で、おしゃれな外国曲のような英語で歌った日本人のアーティストやフリッパーズ・ギターなどの、メジャー・アーティストも多数時代の寵児として輩出した。

それらの原動力となっていたのが外資系のレコードショップだった。

その特徴は、店頭ライブに象徴されるように情報の発信力。新しくてかっこいい音楽を常に提案して、それを生でも見せてアピールする力だ。ある意味では、音楽フリークのコミュニティ形成を担っていた。

しかし、やはりCDの売れない時代には勝てず、その情報発信力はネットなどのインフラに移った。

一方では、そんなデジタルコミュニケーション時代の音楽を反映した音楽の力のキープ力も下がってしまっていたのかもしれない。消費型の音楽がここ20年ぐらい続いて、その影響か、音楽に力がなくなってしまったと感じる人たちも多い。

音楽にイベント性が無くなったという人もいる。つまり時代性を持つ面白さが感じられなくなってしまったということでもある。

そのことに残念さを感じるとともに、原因を探ると、若者の感性の薄さを感じてしまう。反応型の消費行動や受動的行動、若さの勢いの替わりに未来への不安。管理された時間に追われる日常。

音楽は若者がその流行を作るとすると、その受け手側の感性に頼りなさを感じてしまう。もちろん、彼らのせいだと言っているわけではないが、音楽という芸術の豊かさをたっぷり、心で受ける感性、またその余裕が希薄化してしまっているのではないかという不安だ。

先日、デジハリ大学のある教員と、教育論になった。
小学校や中学校では、もっと感性を磨く教育に力を注ぐべきだとの考え。
具体的には「音楽」や「美術」など、感性の教育をもっと大事にしなければならないのではないかとの思い。

なぜなら、これからの時代は、ビジネスにおいても感性が重要な指針となり、創造性がキイファクターとなるからだ。創造性、これを身につけなければ、これからビジネスにおいても生き残れない。

極端な例だが、ジョブスの成功にそれは表れている。あくまで極端だが。

そんな思いを、HMV渋谷閉鎖で感じた。

本日、久々に「カッコー」の鳴き声を自宅で聞いた。
そんな自宅はどこにあるのか、と言われてしまいそうだが、実は東京。しかも、新宿から20分のところだ。

たしかに、自宅の周りには木が多く、自然が残っている珍しい場所だ。西に竹藪、南にブルーベリー畑、東が梅林。

それらは、隣が造園農家であったり、造花農家であったりすることの恩恵だ。借景も極まれりというところ。

しかし、今、それらも危機にさらされている。石原都知事が進めている多摩の開発による産業道路建設だ。

うちの借景のブルーベリー畑や造園農家の木々の間を大きな30メートル道路が突っ切る計画で、現在その一部の工事が始まってしまっている。

その前は、緑豊かな森にうぐいすが毎年やってきた。そしてカッコーも。
そんな季節を感じさせる自然の豊かさが、その道路建設によって消えるかもしれないのだ。

工事途中で、今年は、うぐいすやカッコーがやってきた。しかし、これからはどうだろうか。心配でならない。

そんな自然の豊かさに触れると、やはり思うことがある。
それは、やはりリアルに自然と接触したときの驚きと感動だ。

今日のカッコーの鳴き声にしても、うぐいすの鳴き声にしても。まさに生命がそこにあり、それらが感動を呼ぶ。

先日、「新月の木」の件で訪れた天竜の地。天気が良かったこともあり、素晴らしい自然の恵みを感じた。緑の深み、川の豊かさ、やかりかけがえのないものだ。

リアルな自然に感動をする。
それはどうやら人間としての当たり前の行為なのだ。

都会にいても高原の鳥カッコーの鳴き声を聴く。こんなぜいたくはないが、、、、、

やっと「木のいのち木のこころ<天・地・人>」を最後まで読み終えた。
文庫本にして562P。本来ならば3冊の本を1冊にしたものだ。

この本は、、最近私がハマっている宮大工「西岡常一」法隆寺薬師寺棟梁とその唯一の弟子「小川三夫」鵤工舎棟梁、そして、その弟子たちの宮大工3代の聞き書きの本だ。著者は、西岡常一棟梁、小川棟梁、そしてこの大作の実質上の作家塩野米松氏。

この本の中には、法隆寺最後の棟梁だった故西岡常一棟梁から受け継がれた宮大工の口伝が弟子、孫弟子と伝わっていく、まさに人間の歴史のつながりが詰まっている。

この本は、これも最近ハマっている「新月の木」のことを調べていくうちに出会ったこの本なのだが、この本の中にはその「新月の木」などの木のこととともに、宮大工という人間のことが同じように深く書かれている。

タイトルの「木のいのち木のこころ」とは、まさに「人間のいのち人間のこころ」と読み替えられる。

私は、今、デジタルハリウッド大学や大学院、さらには、企業研修など、人材教育という仕事にも携わっている。そんなことから、人に何かを伝えるということの難しさをよく感じる。

そんなことを西岡棟梁や小川棟梁はいとも簡単に諭す。
本や言葉や知識で覚えることはたやすいが、それでは人は覚えないという。
頭で覚えたことは、やがて忘れてその人の身にならず。
どこで覚えるのかといったら、それは「当然、手が覚える」のだと言う。

思わずうなった。大工であるから当たり前と言えばその通りだが、「手が覚える」のだ。

そんな教育ができないか、そんな残るメッセージができないか。
私も一期一会の思いで講義や研修をやっているつもりだが、手で覚えるように、教えられるのか。いつも自問する。

「やってみせ、やらせてみせ、(一緒にやってみせ、)ほめてやらねば人は育たじ。」これは山本五十六の言葉だそうだが、同じようなことを西岡、小川の両棟梁もおっしゃっている。

西岡棟梁は言う。
「中国の老子という人は、教育は人間をだめにすると言うてますな。」
と。う~ん。

一方、この宮大工棟梁という仕事は、私が今提唱している「ビジネス・プロデューサー」の仕事と実によく似ている。ビジョンを立て、それをカタチにするために、配下の「人」を有効に使い、あの大きな塔や寺を完成させる。その極意は「人組み」だという。

私は提唱している「組織力」「働きかけ力」、そして、「完結力」。これらの棟梁の器がなければ去れと法隆寺棟梁の口伝にはある。

「百工あれば百念あり、これをひとつに統ぶる。これ匠長の器量なり。」
「百論をひとつに止めるの器量なき者は謹みおそれて匠長の座を去れ」

まさにビジネスプロデューサーの覚悟だ。

まだまだ考えさせられること多く、頭が下がるばかり。
研鑽は続く。

吉田就彦

Authour:
株式会社ヒットコンテンツ研究所
代表取締役 吉田就彦

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