ヒットコンテンツブログ

吉田就彦のヒット学

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2009年11月アーカイブ

先週、マイケル・ジャクソンの遺作「THIS IS IT」を見た。

遺作というのは適当ではないが、彼が伝えたいメッセージを実現しなかったコンサートの代わりに伝えているこの映画はかれのメッセージに詰まっている。

ともかく、KINGオブPOPの名前の通り、歌、踊り、人を驚かせ感動させようとする姿勢はまさにKING。単に歌がうまいとか、踊りの切れがあるとかそんな次元ではないものが、50歳だったマイケルからほとばしる。

音楽という、つかめない、言葉でなかなか説明のできない素晴らしいもの、人と人が繋がれるものを巧みに操って、人に伝える想像力。その想像力がまさにマイケルの存在だ。

人に伝えるために、何をするのか、人を想像以上の世界に連れて行くにはどうしたらいいか、そんなことを突き詰める作業を重ねてステージは作られていく。

昔、私自身もエンタテイメントの世界でやってきたことを、この映画は懐かしくなぞる。もっとも、残念ながらレベルは相当違うが。

映画を見ていて、改めて気づいたことがある。
それは、マイケルの手の大きさだ。ともかく、大きい。顔の大きさよりもはるかに大きな手。その手が繰り広げる表現は強力だ。実に手がものをいう。

マイケルは、このコンサートを地球環境へのメッセージにしたいと企画した。
マイケルが直接語っているところで、印象的なことがあった。

それは、「あと4年で環境破壊をやめないと、もう間に合わない。」という言葉だ。
なにを根拠としたのかはわからないが、その4年という数字、年月が強力に印象に残った。
「そうなのか、あと4年なのか。」

地球を癒そう。昔は母なる大地だったものが、病んで、疲れて、くたびれている。
それらは、すべてが人類の愚かさや思い上がり故だ。

ドバイショックの直後、サウジアラビアでは考えられないような洪水が起こって100人を超える人が亡くなっている。

そんな考えられないことが起こっているぐらい地球は病んでいるのかもしれない。そして、警鐘を鳴らしているのかもしれない。私が、「不都合な真実」を見てショックを受けた時から、もう3年が経過してもいる。

やれることからやろう。マイケルもそう言っている。
やれることからやろう。

それにしても、平日の昼間に見た映画館はかなり満員に近かった。
映画も1週間伸びたようだし。ヒットしたということだ。

ジャネットは完ぺき主義者の兄への気持ちから公開に反対したようだが、
マイケルのメッセージが、強く、世界を駆け巡る。

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今日、夜に新宿文化センター大ホールに、「スタンダードナンバー~オトナの歌謡曲」のコンサートを聴きにいった。

これは、昭和の歌謡曲を若い世代のアーティストらが蘇らせて、歌謡曲のよさを次世代につなげようと考えている友人佐藤剛チャンからのお誘い。剛チャンが企画をしている。

さらに、最近、「糧の会」でのご一緒している、くいだおれ太郎の社長で、音楽批評家の柿木央久さんが総合MC。そして、いつもごひいきな中村 中ちゃんも出演していたもの。

日本のPOPSを確立した、中村八大、いずみたく、浜口庫之助の名曲を、さまざまな歌手が歌った。そして、由紀さおりさんが、最後に自身にいずみたくさんから貰ったデビュー曲「夜明けのスキャット」を自ら歌った。

ともかく歌手の力量がみないい。本当に個性あふれる面々。

特に、初めて聞いたのだが、「羊毛とおはな」のお花ちゃんこと、千葉はなの声と表現力はすごい。特徴のあるアルト声が、楽しい時は楽しく、悲しい時は悲しく響く。ああ、こんな歌手がいるんだなあと感心した。

あと、「中山うり」。アコーディオンを弾き、トランペットを吹きながら、歌う。その声は太い。小さな体なのに太い。彼女はミュージシャンであり、美容師さんでもあるらしいが、不思議な安定感がある。自信とでも言おうか。ふてぶてしさに生きているパワーなのか。

ともかく、二人以外にも、とても個性的な歌手がそろった。遊佐未森、今野英明、バンバンバザール、土岐麻子、藤澤ノリマサ、阿倍芙蓉美、そして中ちゃんに由紀さん。

声の個性が際立つ。

昭和の歌謡曲は、司会の柿木さんが言っていたが、プロの作曲家が、プロの作詞家が、そしてプロの歌手が歌うもの。まさに、皆さん、プロの歌手でした。そして、音楽監督の鈴木惣一朗のアレンジと音楽はおみごと。

なぜか、どうしてだかわからないが、中ちゃんが歌った「黄昏のビギン」を聞いて涙が出た。悲しい歌でもないはずなのに。彼女が「ちあきなおみ」さんのバージョンを聞いていたと言っていたからか。不思議。それが音楽の力なのかもしれない。わけがわからず涙が出る。

名曲をずっと聴いていて気付いたことがある。
それは、実に、メロあまりの曲が多いことだ。メロあまりとは詩が短くて、メロディに詩を載せた時に母音をもう1音追加したりすることだ。実に多かった。

これは、作詞家と作曲家が火花を散らして、相互譲らなかった結果なのか。定かではないが、そのメロあまりが、実は曲の色気のようなものを醸し出していると初めて気づいた。

私が自分でPOPSをプロデュースをしていた時には、このメロあまりを極力廃して詩を変えたものだったが、もしかしたら、それは間違いで、そうすることによって、楽曲の引っ掛かりを取ってしまっていた可能性さえ感じた。

う~ん。吉田、未熟であったか。恐ろしい。

そんなことを感じつつ、歌謡曲の偉大さを改めて感じさせてくれたコンサートだった。

剛チャン、柿木さん、皆さん、お疲れ様でした。

それにしても、中ちゃんのステージングはお見事。スケールが大きくなった。

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スペイン紀行第3弾。

スペインに行った時に、本場のフラメンコギターと普通のクラッシックギター(ガットギター)を弾き比べる機会があった。

超有名なマドリッドのギター屋でも弾き、グラナダでも弾いたのだが、音が全く違う。

フラメンコギターは、エッジが利いてパーカッシブな鋭い立ち上がりがする替わりに、音に厚みと深みがない。クラッシックギターのほうは、全体に音がまろやかで甘く、低域の音にも厚みと深みがある。

さんざん、いろいろ弾いてみて、結局クラッシックギターのほうが私の音の好みにあったので、グラナダでガットギターを1本買ってしまった。

そのギターの作り方にもいろいろとあるようで、音に影響することで面白い話を聞いた。
ギターの音色に最も影響があるのは、楽器の上塗りだそうで、それが薄ければ薄いほど、ボディの木が鳴るという。しかし、その塗料が薄ければ薄いほど、傷もつきやすくなるというのだ。

傷を取るか、音を取るかということになるのだが、その塗り方一つで音が変わるところが、生楽器の面白いところ。ということだから、激しいフラメンコギターで塗りが薄いと傷だらけになるということになる。

ジプシーのフラメンコショーを見たが、そのギタープレイは、奏でるというよりも、やはり打楽器。
アドリブで繰り広げられる歌と踊りの格闘の中で、当然ギターも格闘に参加していた。
なので、あのフラメンコギターの音なのだ。

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先日、バルセロナに行った時に、当然ガウディを見てきた。

初めてガウディの本物を見たのは、マヨルカ島。おニャン子の高井麻巳子のビデオ撮影のとき。時間を作って島にあるカテドラル教会にガウディが唯一作ったという祭壇を見た。

その時の印象は、「まるでスターウォーズの世界」という印象。この世のものとも思えない奇妙な、なにやら宇宙を感じさせる祭壇だった。日本に帰ってきてからガウディの本を見てみたら、この祭壇も彼の傑作として後世に残されているとあった。そんなガウディ。

「カサ・バトリョ」「カサ・ミラ」「サクラダ・ファミリア」「グエル公園」「カサ・ビセンス」「グエル邸」「カサ・カルベ」「レイアール広場の街灯」と時間が許す限り見て回った。

それらに共通するのは直線が少しもないこと。「カサ・バトリョ」の邸宅の6階に、空気をうまく通すために唯一板のようなものを重ねた中庭への側壁以外、全く直線がない。

その直線の無さの奇妙さがガウディの特徴であり、また、心が引かれる要因でもある。

何故か。ガウディの曲線は、いたるところで説明を聞いたが、すべて自然界の中にある形状をまねた結果だという。「カサ・ミラ」の最上階の博物スペースには、動物の骨格のあばら骨の丸い骨の並びに構造をまねた模型が展示されていた。

すべては自然の中にヒントがある。強さ、最適さ、そして、美しさ。

ガウディは、その曲線を作るために、綺麗な色の板タイルを細かく割り、その曲線にタイルの破片をはめ込んだ。遇然と、もったいなさが生んだものだというが、それがユニークで美しいガウディの建築物の外観を決定的にしている。

私が感じたガウディの宇宙とは、それは自然の姿でもあったわけだ。
丸い宇宙。そもそも生命体には直線は無い。

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今週、スペインから帰国した。
マドリッドからバルセロナ、グラナダ、そしてバルセからフランクフルト経由で帰国。

ともかくスペインの食事は、日本人に合う。さっぱり系というか、海外で日本食が食べたくならなかったのは生まれて初めての経験。オリーブオイルがきつくないからかもしれないが、イタリアでは、おいしいが少し飽きたのに、スペインは、おいしくて、飽きない。

今回の旅行での一番の収穫は、グラナダを訪れたこと。面白かった。
グラナダは、イスラムの王が、イザベル女王のレコンキスタ(キリスト教の領土奪還)により、最後に手放した土地。泣く泣くアフリカに去った地。

この町の最大の観光地はあのアルハンブラ宮殿だが、現在世界中にもどこにもないイスラムの優れた王宮がそのまま残っている。実に見事。

偶像崇拝のキリスト教に対して、偶像否定のイスラムの王宮は、一見派手ではないが実に細かい模様の装飾にあふれている。アルハンブラはその集積の極地。

そのイスラム文化を、レコンキスタを遂げたキリスト教陣営も、さすがに打ち壊す気になれなかったらしく多少の破壊程度で残した。その後もナポレオンやフランコといった乱暴者に破壊されることを免れて今に残る。奇跡である。

そのグラナダは、今はキリスト教とイスラムが共存する町。そして、さらにもう一つの集団の本場である。ジプシーだ。

政治や宗教、領土、権力といったものの戦いとは全く関係のないジプシーが、その地の第3極として存在することに驚く。しかも、アルハンブラのすぐ前のサクラメントの丘に、ほら穴を掘って住み着いていたという。

美しさゆえに宗教を乗り越えて残った「アルハンブラ」。歌と踊りが糧となり、そこに存在したジプシー。ともに芸術=美の永遠性を感じさせてくれる。

スペインはピカソやミロ、ダリ、ゴヤ、ベラスケスといった天才芸術家を多く生んだ国。
美がもっとも尊いことを知っている国なのだ。

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吉田就彦

Authour:
株式会社ヒットコンテンツ研究所
代表取締役 吉田就彦

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